写真は2020年1月18日朝の会津磐梯山。
友人とともに厳冬期で雪深いはずの会津磐梯山へと向かった。
東京駅6時04分発、やまびこ41号に乗って郡山へ向かう。
車内は比較的空いていた。
郡山駅には7時24分到着。
レール&レンタカーで予約済みのレンタカーを借りた。
今年は暖冬、雪不足で、猪苗代側のスキー場は閉鎖しているらしい。
裏磐梯スキー場から登山開始。
今日の予定コース。
裏磐梯スキー場のリフトでスキー場頂上へ。
予定では、そこから凍結した銅沼(あかぬま)の上を歩き、厳冬期のみ見れるイエローフォールと呼ばれる凍結した硫黄温泉の滝へ。
そして冬季登山道を一気に弘法清水まで上がり、頂上にアタックする。
上りの予定タイムは約3時間である。
スキー場を9時30分に出発。
背後には西吾妻山が美しく映える。
スキー場から銅沼へ行く登山道には、明治時代に起こった磐梯山の大噴火と岩なだれの説明看板あり。
大噴火で桧原村が全て埋没してしまったのだ。
その時、岩なだれで川が堰き止められて、桧原湖が誕生。
その桧原湖が眼下に美しい。
ほどなく銅沼に到着。
これが銅沼。
どうして銅沼というかというと、雪のない季節には、温泉成分で沼の水が銅色をしているためだ。
美しい景色だがここで問題が発生。
暖冬の影響で銅沼が完全凍結しておらず、湖面を歩くと氷が割れて沼に落ちる可能性があるのだ。
加えて、情報では暖冬の影響でイエローフォールができていないらしい。
これでは冬道を行けない。
ということで、雪の深い夏道を上ることにした。
冬道は夏にはブッシュで上がれないところに雪が積もり固められるので、雪がしまっていて歩きやすい。
一方、夏道は森林の中を行くので、柔らかい雪が積もっていて歩きにくいのだ。
それでも、約1時間で中ノ湯跡に到着。
あちらこちらでドロドロとした源泉が湧き出ている。
このあたりから、柔らかい雪が深くなり、膝までのラッセルを強いられる。
ラッセルになると、体力と時間をかなり費やすことになる。
展望の良い場所で。
眼下に秋元湖、小野川湖が見える。
遠くにはハート型のゲレンデのグランデコスキー場が見える。
冬道の尾根が眼の前に。
そして、頂上付近が雪雲で曇ってきた。
中ノ湯跡から弘法清水まで、コースタイムは1時間強だが、膝までのラッセルと木の枝が邪魔してなかなか思うように進めない。
かなり苦戦し、すでに中ノ湯跡から2時間。
しかも天気が崩れてきた。
弘法清水手前に来たが、中ノ湯跡から2時間10分、登山開始から3時間30分を費やし、時刻はすでに13時15分になっている。
頂上まで30分ほどと思われるが、登ると下山途中で日が暮れる恐れあり。
さらに粉雪が舞い始め、あたりが軽いホワイトアウトになってきたため、このまま進むことを断念した。
冬山では必要な判断、勇気ある撤退だ。
軽いホワイトアウトの中、それでも酒を飲んで短い宴会とした。
エイヒレと厚揚げを網焼きし、うずら卵や生牡蠣をいただき、おでんとにゅう麺と熱燗で体を温める。
美味い!
熱燗片手に生牡蠣をほおばる。
冬山に生食用の牡蠣を持ってきて食べる奴はそういないだろうと思う。
粉雪と軽いホワイトアウトの中、13時50分に下山開始だ。
今年は暖冬、雪不足というが、それでも深雪だ。
しばらく下ると粉雪は止み、軽いホワイトアウトも解消。
中ノ湯跡からの下り。
銅沼が近くなると、深雪はなくなり、歩き易くなった。
16時前に銅沼(あかぬま)まで下山。
すでにあたりは日が暮れ始めている。
冬山の日暮れは早い。
スキー場の上部まで下山してきた。
すでにリフトは止まっているため、ゲレンデを歩いて下る。
下山した時刻は16時45分。
頂上に行っていればあと1時間以上遅くもどることになり、登山口駐車場の車を見たパトロール隊が、我々を探し始めていたかも知れない。
勇気ある撤退は正しい判断だった。
登山口である裏磐梯スキー場のすぐ近く、桧原湖畔にある、裏磐梯レイクリゾート「四季の森」に今宵は泊まる。
部屋はスーペリアツイン。
露天風呂の温泉、食べ放題のバイキングと飲み放題の夕食、さらに朝食が付いて、税サービス込みで、なんと1人9800円と驚きだ。
ホテルロビーは豪華。
客室廊下は長い。
温泉で疲れを癒し、夕食へ。
ビールで乾杯の後は、家から持ってきた純米吟醸酒「巻機山」を2人で1本いただいた。
蟹も食べ放題だったので、何度もおかわりして蟹足を30本以上いただいた。
翌朝、ホテルをチェックアウト。
五色沼には誰ひとりとしていなかった。
雪のない季節とは大違いだ。
しかし、背後にあるはずの磐梯山は雲に隠れてまったく見えない。
レンタカーで郡山駅まで戻って来た。
郡山駅10時27分発、やまびこ132号に乗る。
そして、郡山駅で買ったスターバックスラテをいただきながら、東京に戻った。
家には12時過ぎに帰った。
おしまい。